先代のバトンを未来に継いでいく青年。 🥒野菜
師匠の「教え」を自分なりに応用する。それが農業の楽しさだと思います。
Kさん(29歳)2021年4月就農、鷹栖町(取材:2024年10月11日)
◉学生時代から「いつかは農業」が口癖。
「こんにちは」そういって見せた笑顔がすがすがしい。お話を聞いたKさんは、鷹栖町できゅうりやアスパラガスを栽培する就農三年目の生産者です。ご出身は旭川。聞けば、学生時代からことあるごとに周囲に「農家になりたい」と話していたとか。
「とはいえ、営農や就農に関する知識はなし。親は非農家ですし知り合いにも農家はおらず、まさに『なにから手を付けたらいいの?』という状況でした。なので、まずは札幌の大学に進学、卒業後も大手の農機具メーカーに就職し北見支店に配属されました」
メーカー勤務は約二年。その間、お客様である農家の方々の作業の大変さ、経営の難しさを目の当たりにしたKさんでしたが、農家になりたいという思いは「消えるどころか、より強くなりました」と振り返ります。
「同じように映る農家でも、栽培法から人材の活用、経営スタイルまで全く違うもの。当然、利益の幅も千差万別です。自分が惹かれたのは、その部分。自然の中で穏やかに働く…といった憧れではなく、効率的な栽培を確立し充分な利益を出していく…というビジネス感覚で農業に挑戦したいと思ったんです」
◉対応と環境が群を抜いていた鷹栖町へ。
企業人二年目の冬、Kさんは会社に辞表を提出。同時に、地元近郊で就農先を探すために各自治体の就農相談窓口に問合せをしました。
「就農したいというこちらの想いに対し、事務的な受け答えが多い中、とても紳士的で温かな応対をしてくれたのが鷹栖町でした」
さらに同町には、新規就農を目指す人たちに専門的な農業研修を行う「あったかファーム」なる施設も備わっているとか。すぐさま見学に訪れたKさんは、ユニークな栽培法、指導者の方々の親身な指導に心打たれ、その場で研修を志願。鷹栖町に移住し、特産でもあるきゅうりやトマトの栽培法を学び始めます。
「あったかファームでは、液肥の施用、換気、給水まで自動。自分のような農業経験のない人でも、科学的なデータにも基づいた栽培技術が学べるようになっていました」
一年間、基礎知識を蓄えたKさんは、その翌年、より実践的な経験を積むために町内の農家で研修することになります。受入先となったのは、何十年もきゅうり栽培に力を注いできたFさん。土壌に肥料をたっぷり蓄えさせるという、独自の土耕栽培を実践していました。
◉受入農家として出会ったこだわりの師匠
Fさんは後継者のいない生産者でした。
「ただ年齢もまだ60代前半。研修に来た自分を後継にするという思いは、当初はなかったように思います」
春のハウス組立から、土づくり、苗の栽培、定植、給水…と、師匠であるFさんの技術を、一つひとつ学んでいく日々。寡黙なFさんの指導法は、手取り足取りではありませんでしたが、KさんはFさんを『師匠』と心に決め、そのこだわりや独自の手法を入念に習得していきました。
「貫いたのは、師匠のすべてを肯定するということ。こうした方が…効率を考えれば… そんな思いが浮かんでも、それを口にしたり、実行することはありませんでした」
Fさんの栽培は、彼の生き様であり、プライドそのもの。例え回り道でも、多少非効率であっても、その手法に辿り着いた師匠の「これまで」を受け入れ実践していくことが、自分に課された使命だとKさんは考えたのです。
「師匠の教えは絶対…この決意が、届いたのかもしれません。最初の頃は『教える、学ぶ』だけだった自分たちの間に、『信頼する、任せる』といった師弟の関係が芽生えていきました」
◉突然の後継の話
2020年夏。突然、FさんはKさんに「自分の後継にならないか」と告げます。「実は少し体調を崩した。治療に専念したいので、お前に農園を任せたい」と。
「一緒に経営してみないか、という話をされたことはありましたが、継いでほしいという話は初めて。正直、かなり驚きましたが、新規就農は学生時代からの夢。ぜひお願いしますと頭を下げたんです」
そこからはトントン拍子。役場の担当者などを交え、後継のための具体的な計画づくりや書類作成、各種手続きがスピーディに進行。その年の秋、Kさんは新規就農者として正式に独り立ちを果たします。
一方、その頃にはFさんが畑に来ることもめっきり少なくなっていました。
「それでも何度か足を運んでくれた際には、肥料の調整、水やりのタイミング、品種について…と、いくつか質問を投げかけていました。でも、師匠の答えは決まって『思うようにやってみなよ』でした。決して投げやりでいってるのではなく、教えることはもうないからあとは自分の責任で何にでも挑戦してごらん…そういってる気がしましたね」
◉Fさんの決意に込められた「託す思い」
それから数か月。春の始動を前に奔走していたKさんの元に、突然、悲しい知らせが届きます。師匠のFさんが急逝したと…
「まさに青天の霹靂、愕然としました。少し前に言葉も交わしてましたから」
思い起こされる師匠との日々。しばらく悲しみに暮れたKさんでしたが、時が過ぎるにつれ、自分への譲渡は、命の終わりが近いことを悟ったFさんの決意の証だったのではないか、という考えが浮かびます。
「師匠がほしかったのは、対価ではなくバトンを継ぐ人。師匠の親しい友人から『彼はお前のこと、心から信頼していたよ』という言葉を聞いたとき、もしかしたらそんな考えがあったのではないかと思いました」
残念ながら、その真偽を確かめることはできません。
「ただ師匠が大切に育てあげたこの農園を託す後継として、自分を選んでくれたのは事実。その気持ちにしっかり応えることがこれからの自分の役割だと、強く思ったんです」
◉師匠の教えに自分の考えを相乗させて
現在、新規就農三年目。農園はハウス栽培が基本で、きゅうりのほか「町内から届く地元野菜をもっと」の声に応えるべく、アスパラガスの栽培にも挑戦しています。
ここで気になる質問を投げかけました。「今でも師匠の栽培法を『完コピ』しているの?」
たはは…と相好を崩したKさん。しかし次の瞬間、真顔になりこう続けます。
「もちろん、いいと感じたこと、効果の高い栽培法はそのまま取り入れています。けれどその先の応用に関しては、自分流のやり方を取り入れるようにしています」
例えば朝一回、Sサイズのきゅうり収穫はその好例。
「共選場に出荷するきゅうりは、Mサイズが最も高値です。けれどその出荷を貫くなら、(きゅうりは成長が早いため)朝夕と二回収穫しなければなりません。そうなるとパートさんを雇わなければならなくなるし、何より家族との時間が削られてしまいます」
実はKさん、数年前にご結婚。家には可愛い盛りのお子様もいるとか。
「売上が増えても、経費が嵩んでしまっては本末転倒です。家事や育児を夫婦で負担し合うことや家族で過ごす時間を確保することも、自分にとってはとても大切なこと。効率的な経営さらに家族のことを考えると、今の営農スタイルがベストなんです」
なるほど、Kさんが追求するのは、確かな利益と穏やかな暮らしが共存する現代の農業。雲の上から眺める師匠にとっても、無理に栽培法にこだわるより、農園を存続させてくれることの方が何倍もうれしいはず。そういえば、Fさんが川内さんに残した言葉も…
「思うようにやってみなよ…ですからね」
◉Kさんの経営概況
市町村名:鷹栖町25区
経営内容:きゅうり2棟(9a)、アスパラガス4棟(18.7ha)
施設機械:ビニールハウス7棟、トラクター2台、防除機1台、除雪機1台、軽トラ1台
家族構成:奥さま、お子様 計三人
研修経過:R1.4〜R2.3 あったかファーム/R2.4〜R3.3 藤原氏圃場
新規就農:R3.4