ニュージーランド

農業 男性

<ニュージーランド農業研修報告書>

はじめに
 小さい頃から農業を通じて海外で働いてみたいと思っていました。
そんな折、インターネットで北海道国際農業交流協会のホームーページを拝見しました。まだ大学に在学中でしたが、こんなチャンスは二度とないと思い今回の研修に至りました。
 一年間生活し酪農や畑作を学びニュージーランドの人々や風土に触れ、日本に帰ってきた今、ニュージーランドという国に行って本当によかったと実感しています。

語学研修(2008年4月7日~5月2日)
 ホームステイ

 初めての海外で不安だらけの中、現地担当者との軽い説明会も終わり早々にホームステイ先に行きました。英会話が全くできない状態で、始めはとてもコミュニケーションに苦労したのを覚えています。そんな中ホームステイファミリーの方々が温かく接してくれたので、ボディーランゲージを交えながら少しずつ英語を覚えていくことができたと思います。今まで英語でのコミュニケーションをしたことがなかった僕にとって、それはテレビの中でしか見たことがない、とてもエキサイティングなものでした。

 不安だった食事も想像していたよりもずっとおいしかったです。ただ、パンと芋が主流の献立なので、お米好きの私は慣れるまで少し時間がかかりました。
 休日は、同じホームステイメイトのブラジル人とその友達と一緒に旅行に行ったりしました。まだニュージーランドに来て1週間目の時に行ったので、言葉の壁にぶつかり歯がゆい思いもしましたが、とても良い経験になりました。
 こういう機会があれば失敗してもどんどん参加していった方が自分にとってプラスになると思い、その後もできることは全てチャレンジするようにしました。

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 語学学校

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 学校では、レベルごと分けられ8段階あるうちの下から2番目のレベルのクラスに入りました。クラスメイトは、アジア人とサウジアラビアの人がほとんどでした。上のレベルになると欧州の人が多くなります。私は、英語が話せないで来たのでそこまで他の国の人とは話せませんでした。日本でしっかり勉強しておけばまた違う学校ライフができたかと思うと、少し後悔しています。

 授業は、この一か月で英語のレベルが格段に上がるわけではなかったですが、英会話の基礎的なことを学び後々すごく役に立ちました。
 また、ここで知り合った友達は私が一年間ニュージーランドで生活していく上でとても大事な存在になり、彼らのおかげで一年間挫けずに頑張れたと思います。
 

1. Eco-Organic Farm(2008年5月3日~6月8日)
 農場の概要
 ここはオークランドから車で40分ほどの場所で有機農家を営んでいます。酪農農場に行く前に一ヶ月間時間があったので、働かせてもらいました。
ここでは、ボスのデスと妻のアイリーン、パートのロバンの三人が働いていました。
少し大きめな畑に多品目の野菜・果実を育てており、基本的にインターネットショップによる宅配サービスを週二回と自分のガレージを使ったショップを週1回開いて野菜の販売を行っていました。たまに自分のトラックを使ってオークランドに直接宅配することもありました。
 生産している品種は、シルバービート、ケール、かぼちゃ、いちご、キーウィーフルーツ、りんご、フィジョア、ねぎなど季節ごとに20品目近くの野菜や果実を栽培していました。

 研修内容
 私が行った時期が丁度秋口だったのと、ボスが重度の腰痛を患っており重いものが持てないということもあり、ずっと置きっぱなしになっていた収穫道具の撤去やビニールの撤去など、重労働が最初の仕事になりました。その仕事が終わると、野菜の収穫や除草が主になっていきました。ここは無給ということもあり怒られることもなく、比較的自分のペースで仕事ができるので、働きやすく最初の仕事としては最高だったと思います。

 農場での生活
 ボスやアイリーンもとても優しく、一人暮らしで食料は自由に頂けたので、とても快適な生活を送ることできました。また休日はヨットのレースに連れて行ってもらったり、一緒にビリヤードをしたりしました。ここは、森があり鳥も多く時間がすごくゆっくり流れている気がしました。

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2.イネス牧場(2008年6月9日~10月3日)
 農場の概要
 オークランドから車で1時間半くらいの場所にあるマタマタという町の酪農家で働くことになりました。大ボスのイネス、妻のマンディが二つの牧場を持っており、私は彼らとは違う牧場で働くことになりました。そこで、イネスにもう一つの牧場を任されているデリックとアルゼンチン人労働者のナチョと一緒に働きました。デリックは私と同じ年齢にもかかわらず、とてもしっかりしていて頼もしい存在でした。ナチョは3つ年上の先輩で酪農の経験もあり、いつもかわいがってもらっていました。

 この牧場は300頭前後の搾乳牛を養っており、ニュージーランドでは中堅クラスの大きさです。それは日本でも変わらないと思うのですが、牛の養い方が違います。ニュージーランドの酪農の特徴として、一年を通して牛を放牧しています。北島では気候が暖かく冬でもマイナス3度ぐらいまでしか冷え込まないので雪も降りません。牧草に霜は張りますが草は一年中食べられる状態になっています。また、放牧だと牛が病気にもかかりづらく乳房炎の数も少なく感じ、牛が活き活きと生活していました。

 300頭規模の牧場でも働いている人数は2人か3人で牧場を回しています。日本だと最低でもその倍の人手が必要だと思います。この国の環境だからできることですが、牛本来の生活ということと、コスト削減について考えさせられることが沢山ありました。
 分娩期に生まれた子牛のうちオス牛や必要以上に生まれたメス牛については、すべて生れてすぐに処分されます。日本では考えられないことだと思いました。
 パドックは全部で40近くあり、その時の牧草の状況に応じて牛を移動させていました。また、パドックの中でも頭数や牛の大きさに合わせ電線でフェンスをはり、パドックをより細かく区切ることで牧草の食べさせ方を調整していました。

 研修内容
 始めのころはまだ乾乳期で、基本的な仕事は牛の移動とパドックのフェンス直し、牛舎の清掃など分娩期に入る前の準備をするだけで、時間も早く終わり2週間ほど気楽に仕事をしていました。分娩期になると多い時では一日に15頭ぐらい生まれることもあり、とても忙しい毎日になりました。
 酪農の経験もあまりなく、始めはわからないことだらけで迷惑をかけていましたが、デリックやナチョの助けもあり、酪農についてたくさん学ばせてもらいました。

 農場での生活
 住まいは社宅のような所を貸してもらい、私とナチョと大ボスの息子のベンジーの3人で暮らしていました。初めての共同生活ということもあり、言葉の壁もありましたがパーティーなどをしながら楽しく生活できました。また、食事当番を作り、みんなで交互にご飯を作り、異文化交流もしっかりできて良い経験になりました。
 休日は、車を借りることもできたので牧場の近くにある滝を登ったり、スキーに行って楽しみました。

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3. ニック農場(2008年10月7日~12月15日)
 農場の概要
 ここの牧場はオークランドから長距離バスで3時間ぐらいの所にある、オトロハンガという町にあります。大ボスのニック、ニックの息子のジーンとその彼女のナターシャと一緒に暮らしました。牧場はほとんど息子のジーンに任せており、たまにニックが仕事を手伝ってくれました。牧場はとても起伏に富んだ地形で、牛を集めるのにいつも苦労しました。でも丘の上から見える景色がきれいで、仕事が辛くてもその風景を見るたび何度も心を癒されました。
 牧場はほとんど前の牧場と同規模でしたが、他にもデントコーン畑を持っており、ジーンは休む暇もなく働いていました。
 また、ここでは新しい搾乳牛舎を作っていて、完成までは見られなかったのですが牛舎のできていく過程も見ることができました。

 研修内容
 始めの頃はまだ分娩の牛が残っており、搾乳と生まれた子牛を集めるのが仕事でした。その後すぐに人工授精での種付けが始まりました。背中にペイントをつけ、発情した牛がいるとそのペイントが消え、人工授精師に来てもらい受精を行いました。一回で受精できなかった牛は二回同じ作業を繰り返します。それでもできなかった牛はパドックに雄牛を放ち、一ヶ月間ぐらい放置して全ての牛に種付けをしました。
 日中は雑草の駆除が主な仕事でした。10キロのタンクを背負い、傾斜のある丘を歩きながら一つ一つの雑草を駆除していく作業は、一人だったので気楽にできましたが大変な作業でした。
 ここでは、仕事の最中に怒られることもしばしばあり、それも私にとっては貴重な経験になりました。

 農場での生活
 小さい小屋を貸してもらい一人暮らしをしました。ニックが毎日ご飯を作ってくれ、ニュージーランドの男の料理を堪能して来ました。また、たまにジーンが食事に誘ってくれることもあり、日本のことやニュージーランドの農業や生活について色々語りあいました。
 休日はオークランドに遊びに行ったり、他の研修生と北島を車で回ったりもしました。
また研修中に足の古傷をこじらせて、途中でここでの研修をリタイヤしたのは私にとってとても辛く、悔しい思いもしました。

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4. ヨハン農場(2009年1月11日~3月5日)
 農業の概要
 ここはオークランドから4時間ぐらいの所にあるケリケリという町で、私が最後に働いた農場です。ヨハンと妻のソニアと私の3人で働いていました。ヨハンはとても陽気な方で、いつも笑顔で冗談などを交えながら接してくれました。
 この農場ではズッキーニ、カボチャ、スイートコーン、玉ねぎなど20種類ぐらいの野菜を栽培していました。収穫した野菜は自分達の持っている直売店と週に1回開かれる町の野菜市でほとんどをさばいていました。

 研修内容
 私がここに来た時はちょうどスイートコーンの収穫時期で、朝一で他の野菜を収穫した後、スイートコーンの収穫とパック詰めをしました。収穫方法は大きいコンテナを機械で畑に持って行き、肩から収穫袋をぶら下げ、傾斜のある坂を歩きながら手で収穫していきます。多い時では、一日に1000キロ以上のスイートコーンを一人で収穫し、パック詰めにしていきました。真夏で日も強く、始めのうちは毎日筋肉痛になるぐらいきつい仕事でした。
 この頃になると英語もだいぶ話せるようになり、直売店の方も一人で任されることもありました。英語でお客様を相手に接客するのは思った以上に大変でしたが、英語も上手くなりましたし、とても良い経験をさせてもらいました。
 最後の頃は、使わなくなったビニールハウスの撤去や夏に収穫した野菜の後片付けが主な仕事になりました。

 農場での生活
 ここでは、違う職場で働いているタイ人の方と二人で暮らしました。自炊をしましたが、野菜も頂けたし車も貸してもらえたので、悠々自適な生活ができました。
休日にはヨハンに北島で二番目に大きな農業機具の市場に連れて行ってもらったり、車に乗って町のバーにも行きました。

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最後に
 私は今回海外に行くにあたり農業のことはもちろん、それ以外の経験を沢山してみたいと思いました。今まで見たこともない物や食べたことのない食べ物、風土や文化の違いなどです。そして一年間過ごした今、それは私の予想以上に驚くことばかりでした。
これらは私がこれから過ごしていく人生の中でとても大きな経験や自信になると思います。
 このような体験をさせて頂いた北海道国際農業交流協会の皆様、本当にありがとうございました。そして現地で面倒を見てくれた現地担当者の方、一年間私を支えてくれた全ての人に感謝します。

 余談

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 現地担当者に連れて行ってもらったパーティーでニュージーランドの首相に会いました。
すごいオーラのある方で、私もいつかこんな人になりたいと思いました。
(中央の男性が現ニュージーランド首相 ジョン・キー氏)
 また、趣味のビリヤードを通して大会に出場し、大勢の人と友達になれたのはとてもいい思い出になりました。優勝もできました。