野菜 男性
<ニュージーランド野菜研修>
はじめに 海外の農業に興味があり、実際にその場に行って仕事をしてみたいと思っていました。 それと人とうまくコミュニケーションする事がこの先大切だと思い、言葉の違う人と関ってみればもっと成長できると思っていました。そして北海道国際農業交流協会の存在を学校の先生に聞き現実に行けることになりました。期間は2008年5月24日から2009年4月30日の約1年間でした。最初の滞在1ヶ月間は、英語とニュージーランドの雰囲気に慣れるために語学学校に行きました。 学校に通っていたときは、ホームステイをしていました。おばさん一人と犬と猫の家でした。良い人だったけれど、毎晩学校の友達と遊び歩いて帰りが遅くなり、沢山怒られた!!でもすごく優しさが伝わってきてうれしかった。 |
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1.グレアムの農場 (7週間) グレアムの農場はオークランドよりバスで南へ4時間くらい行ったタウランガにある。 ここはおじさんと、おばさん2人で農家をしていました。そこに僕も混ざって3人でひとつの家に住んで暮らしました。 ここの農場は自分で食べる野菜と、豚と、果物を作っていました。 まず初日農場に到着して、農場を案内してもらっている時に豚の赤ん坊が生まれていて、案内中断。そのまま赤ちゃんを救出する仕事になりました。子豚ちゃん・・・母豚に潰されていました。救出が終わって、そのまま案内も終了していました。 他の仕事は地面に落ちているフルーツを拾って歩いたり、豚の餌を作ったり、グレアムがチェーンソウで木を切って僕がそれを手で引っ張って行く仕事でした。でもグレアムは自分で切る分が終わったら先に家に帰ってしまいました。 あとダンスパーティーの手伝いに連れて行ってもらって手伝いをしました。お酒を売る手伝いでした。なれない名前のビールばかりでお客さんにいわれても最初は迷っていました。でも最後の方では半分くらいのビールの名前は覚えていました。 |
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2.アパタ (6週間) ここはタウランガの少し上のカチカチと言う町でした。この町はすごく小さな町で買い物が大変でした。ここはキーウィフルーツをパックする工場でした。ここでは色々な国籍の人が働いていました。ドイツ、ベルギー、マレーシア、フィジー、日本、カナダなどから来ている人が働いていました。仕事の内容はキーウィフルーツを箱に詰めていく。ただそれだけでした。 でも一日中ロボットのように働くのは辛かった。毎日同じ作業でした。仕事が大変と言うよりも飽きてもう嫌々やっていました。でも仕事に慣れてくると、他の仕事もさせてもらえて、フルーツを詰めたダンボールにステッカーを貼って、それをパレットにつむ仕事をさせてもらいました。 住んでいた所はバックパッカーズという旅行者向けのホテルで、部屋やキッチン、トイレにシャワーをみんな共同で使うホテルでした。僕が寝ていた部屋は10人部屋でした。最初は不安で挙動不審な人だったと思います。その頃僕はまだ英語を全く理解していなくて全然英語では会話にならなかった。 でも僕は休憩しているとき、とっても良い奴に出会った!! ヨーロッパ人っぽい人が僕にライターを貸してほしいと、言ってきた。僕は貸してあげた。そして彼は名前とか国籍を僕に聞いてきた。僕は必死に答えて、僕は彼にも質問してみた。フランス人だった。そしたらなんとなく会話が成立していた。 その後から僕は彼と毎日話すようになって、いつの間にか常に一緒の存在になっていた。 |
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3.トニーとドナの農場 (4週間) ここはワイウク地方でオークランドの少し下のほう。この農場は花木を栽培していました。収穫した花は日本に送っていました。いつも一緒に市場まで連れて行ってもらいました。 あと豚と牛と鶏もいました。とてもやさしい動物達でした。トニーはペットだよって、言っていました。でも世話するのはドナがしていたみたい。 ここの家の家族は父トニー、母ドナ、長男カート、次男ダニーの4人家族でした。 ここの家の人達はみんな明るい人ですごく楽しかった。週末にはカートの彼女が家に来て話したり、一緒にご飯を食べたりしました。たまの週末には買い物にみんなで行きました。ドナが掃除機を買ったときがあって、トニーが「なんで買ってきたの?古い掃除機を直したら使えるじゃないか。」って言っていました。でもその古い掃除機、トニーが直すって14年前からずっと言っていたらしい。やっぱりどこの親父も一緒の事を言うんですね。 僕が働いているときにバイトで僕と同じ年の男の子が4人くらい一緒に働いていて、悪い言葉を教えたり、教わったり。笑 |
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4.ASWプケコヘ (6ヶ月) ここは農家というより大きな会社でした。にんじん、馬鈴薯、たまねぎを作っていました。どれも作っている面積が多く驚きました。従業員も200人くらい働いているみたいです。 |