酪農 男性
<デンマーク農業研修報告書>
はじめに
デンマークへは頼れるのは自分だけという環境で自分自身を見つめなおしたい、また世界を代表する酪農・農業国として学ぶべき技術があり、そこに住む人々の思想・生き方を肌で感じることで将来の夢への糧にしたいと思いこの研修制度を利用させていただきました。デンマークは循環酪農の先進国、また効率的に作業をすることで家族・仲間との時間を大切にすると聞いていました。それは、本当なのか?この目で見た一年間を報告したいと思います。
研修期間 2010年6月8日~2011年5月28日
農場名 Nordgaarden農場
農場主 Klaus Osterby Madsen
Mette(奥さん)、Camilla&Pernille (娘)
ルームメイト Valentin(ウクライナ人)
Gulnaz(ロシア人)
従業員 Mathilde (デンマーク人)
仕事内容 搾乳、仔牛飼育管理、病気・繁殖・出産の監視、除糞、機械メンテナンス,
牛舎内の設備修理、その他農場での作業
気候
デンマークは北欧の中でも北大西洋海流の影響で穏やかな冬と涼しい夏と言われているが、今年のヨーロッパは記録的な大寒波により酪農の冬の生活は大変厳しいものがあった。日照時間が短く、風が骨を突き刺すような寒さと凍結には堪えた。一方、夏は過ごしやすく上半身裸のデンマーク人をよく見かけた。日照時間も長く、23時からの搾乳も明るい中行った。麦の刈り取り時期になると、無数の小さな虫が飛び交い、自転車に乗るとそれが体に付きそれは、それは不愉快であった。秋には雨の日が多くなり、雨の中の作業が中心となった。四季ははっきりと感じることができトータルで見れば、なかなか面白い四季を過ごせたと思う。
農場について
牛舎はフリーストール牛舎で、当時で経産牛200頭、雄牛1頭、育成牛50頭、仔牛30頭ぐらいを飼養していた。この農場では、雄牛による自家繁殖でホルスタイン、レッドホルスタイン、ジャージー、デニッシュレッド(バイキングレッド)等と多くの種類の牛が掛け合わされて飼養されていたのが特徴だった。
オスは鎖でつながれているわけでもなくフリーストール内を自由に徘徊し、あの雄牛にとっては天国だったに違いないと思う。一方私たちは、人間を簡単に殺してしまう雄牛をいかに怒らせることなく、やり過ごすかで毎日がスリルの連続だった。
デンマークでも雄牛がいる農場は特別らしく、雑種の牛を作り出すことによって、病気に強い牛になり、今後の展望としてまだまだ頭数を増やしていきたいとKlausは言っていた。
農場の設備は、数年前に牛舎を増築したが、旧牛舎の設備の劣化は激しく、糞尿溜めのポンプ、自走スクレッパー、搾乳機など酪農業でもっとも必要とする設備は毎日トラブルの連続で修理に時間がかかった。自走バーンスクレッパーに関しては、溶接など出来ることは全てしたが、Klausの判断で撤去し、その後はボブキャットを使い朝と夕方の二回全てのストールを除糞しなくてはならなくなり、時間と燃料が大幅にかかるようになった。牛自体にも蹄に細菌が入り、それを治療するためにまた時間を取られるといった具合に時間に追われる日々が続くことになった。また、牛の脱走も相次いだ。
搾乳は200頭を1人でやらなければいけなく、三時間半のうちにパーラー内の掃除を終わらせられないといけないが、初めは全くもって時間通りに終わらせることができなかった。時間内に終わらないからといって、誰かが手伝ってくれるわけでもなくいかに効率よく仕事をするかを試行錯誤しながら、時間内に終わらせたときには研修を始めて五ヶ月になっていた。搾乳は12月ぐらいまでは一日三回搾乳で朝4時と昼の2時半、そして夜の11時に手分けして行っていた。三回目の搾乳は分娩して間もない牛のみ約30頭を搾乳していた。
農場の仕事は基本的に3人で行い、1人が搾乳と搾乳室の掃除、もう1人が牛をパーラーの待機場まで誘導、除糞、牛床管理、仔牛の管理、最後の1人は飼料の配合及び給餌(この仕事だけはKlausかMathilde)といった具合にそれぞれの持ち場で動き、7時半に皆で朝食を食べこれからの仕事や予定などを確認していた。午後からは、私とValentinで搾乳と牛の誘導に分かれ6時までに全ての仕事を終わらせ1日が終わっていった。
土日の仕事は、搾乳、給餌等最小限の仕事で終わらせゆっくり休むことができた。
Valentinは、出稼ぎのために働きに来ており、年齢が上だったので私の兄貴分みたいな存在になっていた。彼とは一番仲良くなり、お互い英語が苦手でチグハグな英語だったがそれは時間が解決してくれた。一緒に買い物へ出かけたり、一緒にご飯を食べたり、音の出ないテレビでワールドカップを見たり、よく彼の友達の家に行きパーティーに参加させてもらった。デンマークにはロシア人やウクライナ人がかなり多くいるみたいで、声をかければ近くの町で10人はすぐに集まるぐらいいて、このときは本当に羨ましかった。
耕地面積は借地を含め約140ha で、麦、デントコーンや牧草、季節によって菜の花を栽培していた。道に出れば、北海道の美瑛を思い出させるような景色でなだらかな丘になっており、放牧地、牧草地、デントコーン畑や麦畑が広がり、山がないので空は広く、デンマークにいることを再確認することができた。
デントコーンや牧草地の管理はKlausが行っており、雪が融けた春~秋にかけてはトラクターに乗って仕事に行っており、収穫時には業者に委託し刈り取りから収穫、運搬、サイレージ作りまでを任せていた。一人で管理するには大きすぎるため、このように作業の一連を委託している農場は多く、農場では従業員が働き仕事を分散することによって効率よく仕事をこなし、予定通りに終わらせていた。
配合飼料
自給飼料を使い、乾乳牛、経産牛、分娩後間もない経産牛をそれぞれ配合の割合を変えて給餌していた。
デンマークでの休日
私たち研修生はホストとは別に住んでおり、プライベートはしっかり確保されていた。車もいつでも使わせてくれ、休みの日は近くのスーパーへ買い物に行ったり、自転車で知らない街に遊びに行ったりした。バスも充実しており、電車に乗り継いでコペンハーゲンまで遊びに行くこともでき不自由なく生活できた。
ホストのKlausは、縦の関係ではなく従業員も私たち研修生も同等の目線で接してくれた。研修を始めた当初は、時間通りに作業が終わらず、失敗もしたがKlausのやさしさに支えられた。クリスマスや、娘の誕生日パーティーにも招待してくれ、多くの人と会話できるチャンスも与えられ本当に幸せだった。
私が見た酪農、デンマーク
デンマークでは、私が研修した農場のような経営が一般的になっており、家族経営の酪農家は少なくなってきている。そのため、近年は大規模化が進んでおり、搾乳、給餌、除糞を機械化に頼り、作業効率を上げ、飼養頭数を増やすことが求められている。効率を求められるのは機械だけではなく、そこで働く従業員も同様で最小限の人数でそれぞれが自分の考えで働くことも重要だった。
また、驚いたことに、デンマークでは日本みたいに、息子や娘が土地および農場を継ぎ経営を行うという考え方ではなく、継ぐということになれば、たとえ身内であってもそれらを購入しなくてはならない点だ。農業、酪農はあくまでもビジネスの一つとして考えられていた。また、一般家庭においても、家を継ぐことは多くない。子供たちの意思を最も尊重しており、また親である自分たちもそれが当たり前と思っているらしい。
家族や仲間との時間を大切にしていることも、Klausや彼らの子供を見ているとすぐに分かった。中学生の子供が裸足で牛舎の中に入ってきたときや馬に乗って友達が遊びに来た時には「のびのびやってんなー」と心からそう思えた。デンマークは都市から離れるとすぐに田舎になり日本に比べると大変不便に思えることもあった。しかし、彼らは今の生活には不自由さは微塵も感じておらず、むしろ満足していた。そのことは、私にとって考えさせられる事実であり、自分自身の生き方のヒントをそこで見つけられたと思う。
この一年間は、自分にとってかけがえのない財産となり、悔いのない一年になった。
また、Klausをはじめ、私が出会ったデンマーク人は優しく、ユーモアにあふれた人たちばかりで色んなことを教えてもらい、多くの手助けをしてくれた。それも、先輩たちが築き上げた信頼によるものだと思い、深く感謝したい。
研修生達へ
ポジティブに物事を考えてください。
全て希望する農場へ配属されるとは限りません。途中、失敗や悩むこともありますがデンマークに来たからこそ悩むことができ、日本では体験することが出来ない事をそこでは経験できるはずです。また、一つ一つの出会いを大切に異文化コミュニケーションを楽しんでください。デンマーク人にとって日本は未知な国なので興味津津です。
今の時代、お金と時間さえあれば誰でもどこの国にもいくことが出来ます。大切なのは、自分が何のために行くのか、何がしたいのか、デンマークへ行く目的をはっきりさせて、なんとしてでも”それ”をやり遂げて下さい。
I hope you are up for anything!